日々忙しく過ごすアメリカでの日々でしたが何かに飢えているような、乾いているような感覚に襲われることが多いのに気づきました。ふと気が付くと3年近く日本に帰国していない状況に気がつきました。借金までして米国に来たのですから、なんとか大きく一旗上げたい!と思っていましたが、その借金も返さねば成らないない。 |
お金の問題もありましたが、なにより親兄弟に3年間も顔を見せていないことが心苦しくなっていました。家族の中では「あの頃お前は半失踪状態になっていたぞ」と後ほど言われてしまった程でした。更に決定的なのは学生ビザが切れてしまう日が刻一刻と近づいていることでした。
「よし、ここら日本に帰ろう。こっちで培ったノウハウと根性を糧にして日本で二度目の起業しよう!」
そして約3年ぶりに帰国しまして、日本国内でビジネスを1から始めることにしました。事業内容は米国時代から継続する形のウェブ制作・ウェブマーケティング業務・PR代理業務に決定しました。
しかしこの頃はお金になれば何でもした気がします。アダルトサイトから議員さんのサイトまで頼まれればなんでも作りましたし、業種業態問わずコンサルティングアドバイスも行いました。その結果、自分のキャパシティー以上のお客様を抱え込むこととなってしまい、過労で3回倒れ、2回も入院をする羽目になってしまったのです。
「このままでは俺死ぬな…もっと自分が心底やりたい仕事だけに特化する必要があるのかもしれないな」
体調をひどく崩したことがきっかけで、自分が過去やってきたことと今後やりたいことをじっくり考える時間を取ることができました。インターネットビジネスのマーケティング支援活動を行っていた当時、なにか大きな疑問というかもやもやしたものを感じていました(本来、外出していることが好きな性質なので室内にこもって作業をしなければならないネットマーケティング支援は結構苦痛に感じていました)。
入院している期間を利用して何日間も人生と私のビジネスが特化していくべき分野(ドメイン)について必死に考えました。更に、其の先にある経営理念についても頭を振り絞って考えていました。
「散々考えたけれど、私の原点は学生時代から一貫してマスメディア業界にあるなあ。」
そのときに思い出したのが、テレビ制作時代に毎日何百と受け取っていたプレスリリースや、自分が取材をする側だった企業の記者会見、記者クラブで報道用資料の配布についてのことでした。つまりPRです。
「そうだ!昔考えたようにプレスリリースを受ける側から作って送る側になればいい。PRプロモーションを受ける側から、プロモーションをする側になろう。マスメディアが欲しがる情報を企業から上手く引き出してあげて、情報を探しているマスメディアとマッチングさせる。これこそ自分が一番得意な分野じゃないか」
その日から体系的に広報業務の勉強をはじめ、PR会社の友人に指導を仰ぐことを決定いたしました。今も昔も一番私達がコネクションを持っているのはテレビ業界ですから、その強みを徹底的に伸ばす形でのビジネス展開を決意しました。クライアント会社様のために、プレスリリースを作り記者クラブでの資料配布を行い、メディアキャラバンを行い、記者会見をプロモートいたしました。
最初はスポット業務のみの請負が多かったのですが、継続契約を結んで頂けるクライアント会社様は1社、2社と次第増えて行き、PRコンサルティングサポート業務は絶好調に見え、数多くのクライアントをテレビ媒体を中心とするマスメディアにPR露出させることに成功してきました。
「テレビPR戦略は上手く行っている。でも…まだ何か足りないそれは何だろう?」
実はその答えは私自身十分によくわかっていました。それはPR対象として考えた際の「テレビの弱点」のことでした。テレビPRは爆発的なインパクトを広いカバレッジで消費者に与えることが出来るという利点がありますが、店舗やイベントを除く一部の商品等のPRの場合には、なかなか直接購買に結びつけることが難しくなるケースがあるのです。それはテレビメディアと消費者購買活動の間にある時間・距離・場所の断絶が原因でした。
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