MBC/PR会社創業物語 #08 米国での成功と挫折 =お金がなくてこっそり起業=

MBC/PR会社創業物語 08

渡米後に入学が決定していた大学はワシントン州のシアトルにありましたが、入学日まで3ヶ月ほど時間が余っていました。そこでまずはテキサス州のKingsvilleという超田舎町に居を構えながら、大学付属の語学学校に入りました。ぱっと聞くにはお気楽な留学生活ですが、実際は苦労苦労の連続でした。

 何せシアトルに行ってからの学費を考えると超貧乏節約生活をしながら、できるだけコストカットに励まなければならないため、50セントのコインランドリー代金をケチって手洗い、飯は当然のように自炊中心で「マクドナルドなんて高くてもったいない!」といった感じでした。

 私のあまりの質素貧乏ぶりを目の当たりにして、同じく質素な生活をしていたケニヤ人留学生が感銘して握手を求めてきた位でした(彼はケニヤでは大金持ちの政府関係者のご子息ですが、アメリカに来るとその身分に対して驚くほど質素な学生生活を過ごしていました。謙虚で勤勉な方だったのですね)。

 この頃は何かと韓国人留学生と喧嘩をしていましたね。でも最後には親友になるのが同じアジア人だからとでもいうか…なんだか不思議でした。そんなこんなでテキサスでは3ヶ月余りを過ごし、満を持してワシントン州シアトルに乗り込みました。

 当時のシアトルはMLBシアトルマリナーズにイチロー選手が在籍するずっと前の頃で、日本人の間でも「シアトル?どこそれ?」といったようなマイナー中堅都市といったイメージでした。

 そんなシアトルという街に移住してみるとテキサス州に比べてあまりに生活費と学費が高いことに驚きました。それだけではなく実は当時大ブームだったITバブルに乗った株式投資で失敗をしてしまい、大切な学費・生活費を大きく焦げ付かせてしまいました。結局、足りない資金を自分自身で稼がざるを得ない状況に陥ってしまいました(本当は学生ビザによる渡米でしたので公式にお金を稼ぐことは出来ません。実はまあ、この裏側には色々なことがあったのですがここではヤバすぎますので割愛です)。

 シアトルの町に入ったときは、なんとかして2年でMBAを取って帰国したいと考えていました。しかしいざシアトル入りしてみると生活費と学費で優に1200万程必要なことがわかり、手持ち現金が700万円だった僕にはMBA受講は夢となってしまいました。その上今回の株式投資による失敗よる資金焦げ付きは大事件でした。

 とりあえず実践的なビジネス実務を理論と同時に取得するため、割と学費が安い大学の社会人向けビジネスコースを2コース同時に選択することにしました。「International Business(国際貿易)」と「Entrepreneur Course(独立起業)」のそれぞれを同時専攻するちょっと無謀なやり方でしたが、ローカルの会社社長さんたちが講師だったり、または生徒として授業に参加していることもあったりするような環境だったので、非常に実戦的なアメリカのビジネスを学ぶことが出来ました。

 留学中はインターンシップとして現地の企業で働くことも可能だったので、貿易会社と地元ローカルテレビ局で働くことになりました。ローカルテレビ局ではニュース番組の制作現場に配属されたので、ラッキーなことに現地のプレスリリースを何度も目にする機会がありました。

 そこで感じたのは「へー、アメリカのプレスリリースって(日本と違い)ものすごく工夫されているなあ!」ということです。プレスリリースはとにかくマスメディアに見てもらわないとお話にもならないことを、米国の企業広報担当者は良くご存知のようでした。

 またマスメディア側もプレスリリースに対して非常に理解が深く、新聞などではニュース記事の70%以上もプレスリリース情報を元にして作られているというデータもあります。様々な形で米国流PR術に触れることができたのは非常に大きな経験になりました。

 そんなこんなで米国での学生生活も半ばに差し掛かるよりずっと前に、手持ちのお金がほとんど尽きてしまいまいた。もちろんシアトルに来てすぐに焦げ付かしてしまった投資元本が原因です。先ほど私は「自分自身で稼がなければならなくなった」と言いましたが、このままだと3年間の留学予定期間を終えることもなく、単なる金銭的ガス欠を起こして帰国しなくてはならなくなってしまう可能性が現実味を帯びてきましたのです。

「よし、自分で何とか金を稼ぐしかない。就労ビザはないけどやり方によっては何とかなるだろう」

 当時マイクロソフト、Amazon.com、リアルネットワークス等のIT企業の本社がひしめいているシアトルの街中では、インターネット関連のビジネス情報や知識が黙っていてもどんどんと私の耳に入ってきました。今までビジネスを体系的に勉強してこなかったため、本場のマーケティング思考とシアトルのコンピュータライズされた生活にどっぷりとつかりながら、独学で学んだインターネットとPCの知識と技術で小金を稼ぎ始めるようになります。このときの主な業務はウェブデザイン及びウェブマーケティングでしたが、実質的なSOHO形態の一匹狼(…というか一人社長+友人従業員一人)として活動を始めました。

 私はアメリカ国内における「外国人」という立場を利用して、英語日本語間の翻訳業務を付加価値としたウェブサイトの制作・デザイン・マーケティングサービスを提供していたので、日本市場を狙っているローカル会社社長様達(シアトルは日本に一番近い北米都市ですので、日本との間で交易ビジネスを行っている事業主が多い)からは非常に好評を頂きました。その結果、お客さんがお客さんを連れてくるという理想的な状況になりました。ビザの問題はちょっと裏作業を色々としましてクリアし、これで金銭的な損失の穴埋めは何とかビジネスで埋めることが出来るようになったわけです。

 またローカルテレビ局でのインターンシップ経験を活用し、シアトルに進出してくる日系企業(これまた数多く存在しました)のPR業務代行やプレスリリース作成・配信代行業務を行いました。このあたりは今の業務内容の原点になっています。

 金銭的な心配が無くなってきたからといっても、もちろん学生としての身分はまったく変わらないわけで、仕事だけに没頭しているわけにもいかず勉強にも多大な時間を割かなければなりません。よく言われるようにアメリカの学生はものすごい勉強量を要求されるため、当時は飯を食うのも惜しいほど本を読み勉強をしました。全て英文のビジネス書ですから外国人である僕には1冊読破するだけでも非常に時間がかかりました。

 しかし慣れとは恐ろしいもので、1日1日と英文を読むスピードが上がってくるのが自分でもよくわかりました(日本に帰国後、中小企業診断士の資格をとることになるのですが、ほとんどの診断士科目はこのときアメリカにて学習していた内容でした。中小企業診断士の学習内容は、正直いって一般のビジネス基準から遅れ気味なのかもしれません)。そしてこの頃は空き時間を利用して、全米で行われる経営セミナー等にも積極的に参加しました。

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