卒業後あちらこちらの制作現場に顔を出すフリーテレビ制作マンとして、あちこちの制作現場で働いていましたが、この頃に興味があったのが米国留学であり、その思いは日に日に強くなっていきました。その想いには当時の職場環境が大きく関係していいました。 |
学生時代、特にお世話になったNHKには非常に語学堪能な方が多く、「そもそも英語くらい出来ないと仕事なんかにならない」というのがある種常識でした。子供の頃から徹底して英語を避けてきた私は強烈に自分の英語嫌いを反省し、「絶対に自分も英語はマスターしなければいけない」と感じるようになっていました。
また、映像シナリオ作成・映像制作ばかり学んできた僕がビジネスに興味を持ち始めたのもこの頃です。ディレクター・構成作家として地味に活動をしていましたが、ある知り合いのプロデューサーさんにこんなことを言われたのがきっかけです。
Pさん:「吉池、お前ディレクター向きじゃないよ。」
吉池:「え!(ショック!俺ってダメ人間?)」
Pさん:「映像作るなら他に山ほど天才的なやつがいて、お前では彼らに絶対に勝てないよ。お前はどちらかというとプロデューサー向きだね。人・モノ・金の管理と周囲への気遣いは抜群だよ」
吉池:「お・・(うれしい)。僕は今まで映像制作と文章作成しか勉強してきませんでした。プロデューサーになるには何を勉強すればよいのですか?」
Pさん:「そりゃあお前簡単だよ。経営を勉強すればいいんだよ。結局そこに一流プロデューサーになるためのエッセンスがつまっていると思うぞ」
吉池:「そっか、ビジネスの勉強ですか!やっぱりそうですよね!」
漠然と経営学に興味を持っていた私はこのとき目の前がぱっと明るくなったような感触がしたのを今でも覚えています。米国留学では絶対にビジネスを専攻しよう!どうせなら最先端で1流のビジネス理論をマスターして帰ってこよう!と意気揚々となりました。そうと決まれば話は早く、すぐに米国留学の準備を始めてしまいました。幸いなことにTOEFLもそこそこの点数を取得することができ、米国の大学に入学する準備は1年くらいで整いました。自分で何とか貯めたお金と親から借りたお金で、いざ出発…となりました。テレビ制作現場の仕事も、当然全て辞めさせて頂きました。
実は今だから言えるアメリカ留学への別の理由というのがあります。単純に英語が話せる男性がモテモテなのでは?という浅薄な妄想と、国際政治の上で傲慢なアメリカ人が大嫌いだったので、逆にどんなものか実際に彼らの国を見てやろう、その上で文句を言ってやろう!という「文字通り若気の至り」という理由が多分にありました。恥ずかしくてあまり人に言えるような留学理由ではありませんね…。
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