歩兵第五聯隊史 ―「七、八甲田の吹雪」

全文書き起こし・現代語訳
原本:帝国聯隊史刊行会 編『歩兵第五聯隊史』(大正7年)
国立国会図書館デジタルコレクション(pid/941896)
第七節「八甲田の吹雪」 p.140〜151
6見開き
収録ページ(p.140–151)
大正7年
刊行(1918)
明治35年1月
事件発生(1902)
連隊自身の記録
当事者である第五連隊が編んだ連隊史
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本資料は、当事者である歩兵第五聯隊自身が編んだ連隊史『歩兵第五聯隊史』(大正7年刊)のうち、八甲田雪中行軍遭難を扱った第七節「八甲田の吹雪」(p.140〜151)の全文書き起こしと現代語訳である。事件から16年後に連隊側が「自隊の歴史」として簡潔にまとめた記述であり、詳細な公式報告書『遭難始末』とは叙述の粒度・力点が異なる。軍歌を歌って一夜を凌いだこと、喇叭が唇に凍りついて鳴らなかったこと、救援隊と見えたものが樹木の切株であったことなど、連隊史ならではの簡潔で印象的な描写が含まれる。

書き起こしについて:本書き起こしは国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(pid/941896)を判読して作成したものです。原文は旧字・旧仮名・カタカナ交じりの文語体で、判読が難しい箇所・固有名詞・数字は〔 〕で示し、推定を加えています。各見開きには「原本画像」タブを設けていますので、正確な字句は原本画像でご確認ください。誤りにお気づきの場合は動画コメント欄でご指摘ください。
七、八甲田の吹雪
七、八甲田の吹雪 明治三十五年一月、第二大隊は東津輕郡田代、八甲田山麓に於て、非常の酷寒と吹雪とに遭遇して、總員殆んど凍死の悲劇を演じたるが、其れ海に古今類例なき惨事であつた。 此行軍の目的は、雪中露營の實驗を行ひ、其經過に基いて、戰時編成歩兵一大隊並に大小行李特別編制案を立つるに在つた。因て一中隊を編成し、二十名より成る踏雪隊を先頭とし、青森屯營より田代を經て三本木平野に進出し得るや否やを判斷し、且つ〔行軍の〕目的及計畫を實施し、其經過に基いて、〔聯隊長津川中佐〕も此目的と判斷とを是認し、大隊長山口少佐をして集成一中隊を編成せしめ、左の如く編成した。  中隊長 大尉 神成文吉  第五中隊 下士卒 四七 長、中尉  第六中隊 同   四四 長、少尉  第七中隊 同   四四 長、中尉  第八中隊 同   四九 長、同  第一・第二大隊の長期下士 二二 長、同  列外 大隊長 少佐 山口〔鋠〕、大尉 與津景敏・倉石〔一〕、見習士官 田中稔・今泉三太郎、三等軍醫 永井〔源之亟〕  〔隊付〕伊藤格明・鈴木守登・大橋義信・水野忠宜・中野辨二郎 被服・携帶品は、略裝にして一般防寒用外套・手套以下、飯盒・水筒・雜嚢。午食・小食として丸餅二個(他の四個は行李にて運搬)及び道具、携行器具・材料並に糧秣等は略す。手套を着用し藁靴を穿つ。
節の冒頭 ― 連隊史が記す「古今類例なき惨事」

明治三十五年(一九〇二年)一月、第二大隊は東津軽郡田代、八甲田山麓において、非常な酷寒と吹雪に遭遇し、参加者のほとんどが凍死するという悲劇を演じた。これは古今に類例のない惨事であった。

行軍の目的

この行軍の目的は、雪中露営の実験を行い、その経過をもとに、戦時編成の歩兵一大隊ならびに大小行李(補給部隊)の特別編制案を立てることにあった。そこで一個中隊を編成し、二十名からなる踏雪隊(雪を踏み固めて道を作る先導隊)を先頭に立て、青森の屯営から田代を経て三本木平野まで進出できるかどうかを判断しようとした。聯隊長(津川中佐)もこの目的と判断を是認し、大隊長・山口少佐に集成中隊を編成させた。

集成中隊の編成

中隊長は神成文吉大尉。第五中隊から下士卒四七名、第六中隊から四四名、第七中隊から四四名、第八中隊から四九名、第一・第二大隊の長期下士二二名で編成。列外として大隊長・山口少佐、與津景敏大尉・倉石〔一〕大尉、見習士官の田中稔・今泉三太郎、三等軍医の永井〔源之亟〕らが加わった。

被服・装備

服装は略装で、一般防寒用の外套・手袋以下、飯盒・水筒・雑嚢を携帯。昼食・間食として丸餅二個(残り四個は行李で運搬)などを持ち、その他の器具・材料・糧秣は省略する。手袋を着用し、藁靴を履いた。

📝 注記:「米突(メートル)」「石・斗・升・合」など旧来の単位が混在する。指揮官名は『遭難始末』では山口鋠少佐・神成文吉大尉・倉石一大尉・伊藤格明中尉など。連隊史は名のみを略記するため、本文の〔 〕は他資料による補いである。

歩兵第五聯隊史 p.140-141 原本画像
原本画像:p.140–141(NDLデジタルコレクション pid/941896)
出發前、軍醫より與へたる注意(カタカナ書き・凍傷予防心得) 一、休止ノ間ハ手指ヲ摩擦シ、絶エズ足蹈ヲ爲スコト。 一、〔身體ヲ〕可成温カク包ミ、可成放尿後、袴ノ釦ヲ〔確メル〕コト。 一、飲酒ハ凍〔傷〕ヲ來ス、殊ニ凍傷ノ大原因ニ付、喫食後モ多量ニ飲ムトキハ凍傷ニ罹リ易キヲ以テ、飲酒家モ慎ムベキコト。 一、露營ノ時ニハ可成睡眠セザル様注意ノコト。 一、耳・鼻・趾其他全身諸部ノ寒冷凍〔結〕ニ注意スルコト。〔凍傷〕部赤色ヲ呈スルニアラザレバ、可成火氣ニ近ヅケズ。 一、凍結スル際ハ先ヅ雪ニテ摩擦シ、次ニ徐々ニ暖メ、又温湯ニ入レザルコト。 一、靴下其他濕リタルモノハ可成早ク乾燥スルコト、掛クルコトヲ怠ルベカラザルコト。 寒地着を穿ちて通路開設に任じ、先頭小隊を以て踏雪隊となし、〔数十分〕乃至一時間毎に交代せしむる計畫であつた。一月二十三日早朝、二列側面縱隊を以て營門を出發した。 〔行軍順序〕伊藤小隊──中隊長──鈴木小隊──大橋小隊──水野小隊──中野特別小隊──行李〔縱隊〕。 森附近に於ける冬期普通の天候に〔比し〕、風も和らかつた。午前七時四十分頃より風雪・寒氣共に漸く加はり、携帶の米飯は既に凍結して、〔之を〕食した者は甚だ稀であつた。傾斜急なるを以て、一時間に半里以下、最低氣温攝氏零下六度、降雪あり。幸畑村に達し、十一時半頃小峠・〔大峠〕…正午再び行進を始む。雪量益ゝ〔増し〕、午後四時半、中隊は馬立場以下〔十五名〕を設營隊とし、此日の豫定〔地〕に到り難く、黄昏に近かつたが、再び武裝を整へ、積雪胸を没し、到底進み難く、按ノ森〔附近〕に露營せんとした。
出発前、軍医が与えた注意(凍傷予防の心得)

一、休止の間は手指をこすり、絶えず足踏みをすること。
一、体をできるだけ暖かく包み、放尿後は袴のボタンを確かめること。
一、飲酒は凍傷を招く。とくに凍傷の大きな原因であり、食後でも多量に飲むと凍傷にかかりやすいので、酒好きも慎むこと。
一、露営のときはできるだけ眠らないよう注意すること。
一、耳・鼻・足指その他全身の各部が寒さで凍りつかないよう注意すること。凍傷部位は(血色が戻って)赤くなるまでは、できるだけ火に近づけないこと。
一、凍結したときは、まず雪でこすり、次に徐々に暖め、いきなり湯に入れないこと。
一、靴下その他の湿ったものはできるだけ早く乾かし、(乾かすために)掛けておくことを怠らないこと。

一月二十三日 出発、行軍第一日

寒地用の服を着て通路の開設にあたり、先頭小隊を踏雪隊として数十分から一時間ごとに交代させる計画であった。一月二十三日早朝、二列側面縦隊で営門を出発した。行軍順序は、伊藤小隊・中隊長・鈴木小隊・大橋小隊・水野小隊・中野特別小隊・行李縦隊の順であった。

はじめは森(青森)付近の冬の普通の天候に比べれば風も和らいでいた。しかし午前七時四十分頃から風雪と寒気がしだいに強まり、携帯した米飯はすでに凍りついて、食べられた者はごくわずかであった。傾斜が急で進みは一時間に半里(約二km)以下、最低気温は摂氏零下六度、雪も降った。幸畑村に達し、十一時半頃に小峠・大峠にかかり、正午に再び行進を始めた。雪はますます増し、午後四時半、中隊は馬立場以下〔十五名〕を設営隊とした。この日の予定地には到達しがたく、日も暮れかかったが、再び武装を整えて進もうとした。だが積雪は胸まで没し、到底進めず、按ノ森付近で露営しようとした。

📝 注記:出発日を連隊史は「一月二十三日」とする(『遭難始末』も同じ)。地名「幸畑・小峠・大峠・馬立場・按ノ森」は青森から田代へ向かう田代街道沿いの実在地名。零下六度はこの第一日の記録で、遭難当夜はさらに低下したとされる。

歩兵第五聯隊史 p.142-143 原本画像
原本画像:p.142–143(NDLデジタルコレクション pid/941896)
〔風雪〕模糊・渾沌となつたので、中隊は遂に現地、鳴澤南方高地の小凹地に露營と決した。露營地は風雪を遮蔽するに足らず。此處に五個の雪壕(長五米突、幅二米、深二米突半)を掘り、簡單に〔設けたが、之を〕粗散せざるを得ず、通路を開いて、〔各隊〕…集合し、午前二時三十分露營地〔に在つた〕。 二十四日、神成大尉・伊藤中尉は最先頭に立て、進路を定めつゝ行軍したが、強風怒號し、四面暗澹たる爲め、約三十分の後、谿谷に陥り、始めて路を失したることを知つた。因て再び露營地に還らんとし、路を東北に求めて、谷を下るや、駒込川の本流に會して方向を知れず。佐藤特務曹長は方向を變更し、自ら嚮導と爲り、又一歩を進むるを得ぬ。或は右に轉じ、或は左に轉じ、進路を變更したるも、終に進路を索むる能はず。午後六時頃、再び雪上露營に就いた。 凍傷にかゝる者漸く多く、山口少佐・與津大尉も亦手指を侵され、永井軍曹も亦手指を侵され、午後四時水野中尉は從卒と共に終始救護の任に就いたが、〔遂に〕斃れた。中野中尉等も凍傷にかゝり、前九時、風〔向〕…急流に會して、轉回し、轉回して…就いた。
鳴澤の露営 ― 五つの雪壕

風雪で視界がぼやけて混沌としてきたため、中隊はついにその場、鳴澤の南方高地の小さなくぼ地で露営すると決めた。だが露営地は風雪を遮るには足りなかった。ここに五つの雪壕(長さ五メートル・幅二メートル・深さ二・五メートル)を掘ったが、簡単なもので粗末にならざるを得ず、通路を開いて各隊を集合させ、午前二時三十分に露営地にあった。

二十四日未明 ― 道を失う

二十四日、神成大尉・伊藤中尉が最先頭に立ち、進路を定めながら行軍した。しかし強風が怒号し、四方が真っ暗であったため、約三十分後には谿谷に落ち込み、はじめて道を失ったことを知った。そこで再び露営地に戻ろうとし、東北に道を求めて谷を下ると、駒込川の本流に出てしまい方向がわからなくなった。佐藤特務曹長が方向を変えて自ら案内役となったが、一歩も進めない。右に折れ左に折れと進路を変えたが、ついに進路を見つけることができず、午後六時頃、再び雪の上で露営した。

凍傷者が続出する

凍傷にかかる者がしだいに増え、山口少佐・與津大尉も手指をやられ、永井軍曹も手指を侵された。午後四時、水野中尉は従卒とともに終始救護にあたったが、ついに倒れた。中野中尉らも凍傷にかかった。

📝 注記:「米突」はメートル。雪壕の寸法は連隊史独自の具体記述。出発翌日(二十四日)未明に道を見失い駒込川へ迷い込む経過は『遭難始末』とも一致する。この時点から凍死者・凍傷者が急増した。

歩兵第五聯隊史 p.144-145 原本画像
原本画像:p.144–145(NDLデジタルコレクション pid/941896)
〔露營地は〕鳴澤西南方の小凹地であつたが、最早前夜の如く雪壕を設くるの力なく、僅かに踏固めたる雪上に、相密接して、足蹈をなし、手指を摩擦し、各小隊軍歌を〔歌ひ〕…く、〔夜を凌いだ〕。 〔翌〕馬立場右方より、今井特務曹長の一隊は同地左方より、共に田茂木野方向を…「来る!」と絶叫した者がある。時に正に一隊の兵員は通路を開設しつゝあつて、合圖の喇叭を吹奏せしめんとしたが、喇叭は唇頭に凍着し、斷續して一二聲を發したるのみ。因て更に進み來るの狀もなし。午前十時、一同驚喜し、瞳を放つて、我に向つて行進し來ると〔見たが〕、然るに救援隊は何の應ふる所なく、更に眼を据ゑて凝視すれば、噫、夥多の樹木の切株であつた。倉石大尉、直ちに前方を眺め、〔渡邊〕斥候長より「歸路を發見した」報告を得て、正午此地を出發した。 斥候の一部は既に田茂木野に向ひ、從ふ者約六十名。午後三時馬立場に到りて、…前進せ〔しめ〕…に到つて、〔前進した〕。
軍歌を歌って夜を凌ぐ

露営地は鳴澤の西南方の小さなくぼ地であったが、もはや前夜のように雪壕を掘る力もなく、わずかに踏み固めた雪の上に互いに体を密着させ、足踏みをし、手指をこすり合わせ、各小隊が軍歌を歌って夜を凌いだ。

凍りついた喇叭、そして「救援隊」の正体

馬立場の右方から(味方が来る)、今井特務曹長の一隊が左方から、ともに田茂木野の方向へ──「来る!」と絶叫した者があった。ちょうど一隊の兵員が通路を開設している最中で、合図の喇叭(らっぱ)を吹かせようとしたが、喇叭は唇に凍りつき、途切れ途切れに一、二声を発しただけであった。そのうえ、来ると見えたものはそれ以上進んでくる様子もない。午前十時、一同は驚き喜び、目を凝らして「我々に向かって行進してくる」と見た。ところがその「救援隊」は何の反応も示さない。さらに目を据えてじっと見つめると──ああ、それは無数の樹木の切株であった。倉石大尉はただちに前方を眺め、〔渡邊〕斥候長から「帰路を発見した」との報告を得て、正午にこの地を出発した。

斥候の一部はすでに田茂木野へ向かっており、従う者は約六十名。午後三時、馬立場に到って前進した。

📝 注記:「喇叭が唇に凍りついて鳴らない」「救援隊と見えたものが樹木の切株だった」という挿話は、極限状況下の幻視・幻聴を伝える連隊史の印象的な記述。映画・小説でも知られる場面だが、連隊自身の公式記録にこう記されている点が貴重。

歩兵第五聯隊史 p.146-147 原本画像
原本画像:p.146–147(NDLデジタルコレクション pid/941896)
〔進路を発見し得〕ない。二十六日午前三時頃、勇を皷して又〔進發した〕。〔尚〕も進發した、從ふ者三四十名。昏睡〔して〕…斃れる。山口〔少佐〕…〔も斃れた〕。 〔救援隊は〕少尉三神定之助。下士卒六十名(看護手を含む)。一、煙草若干。外に救急藥剤一組。一等軍醫村上英一。〔毎に〕毛布一、精米五升、パン三十、懐〔中物〕…。前五時四十分、屯營を出發せしめた。上峠・大峠を越えて、〔小屋掛澤?〕…爲に一先づ田茂木野に引返して、又大峠を越え、大瀧平を通過して、深く頭巾を〔被れる〕一兵士を發見した。それは伍長後藤〔房之助〕であつた。 幸畑にて村民二十名を雇ひて嚮導となし、村民は前進の不可を〔言ふ〕…〔某地〕迄到つたが、村落に露營し、翌二十七日午前十一時頃、二三百米突を進みたる〔時〕、雨眼は開いてゐるが、既に〔言語不能〕…房之助であつた。直ちに應急手當を施して蘇生せしめ、極言して寸〔時〕…六時同地を〔発し〕…頃、忽然雪中に視力を失ひ…手當を施して蘇生〔せしめた〕。行軍隊の大部は尚遙か後方に在り、其西南約三百米突に及川伍長、神成大〔尉〕、其西南約三百米突に及川伍長…〔の屍體を発見した〕。
二十六日未明 ― 再びの出発、そして死

ついに進路を見つけられない。二十六日午前三時頃、勇を奮い起こして再び出発した。従う者は三、四十名。昏睡して倒れる者が出た。山口少佐らも倒れた。

救援隊の編成と出発

救援隊は三神定之助少尉を指揮に、下士卒六十名(看護手を含む)。一等軍医・村上英一が同行。各人に毛布一枚・精米五升・パン三十・懐中物などを携え、煙草若干、別に救急薬剤一組を持ち、午前五時四十分に屯営を出発した。小峠・大峠を越え、いったん田茂木野へ引き返し、再び大峠を越えて大瀧平を通過したところで、頭巾を深く被ったまま立っている一人の兵士を発見した。それが後藤〔房之助〕伍長であった。

二十七日 ― 後藤伍長発見

幸畑で村民二十名を雇って案内役としたが、村民は前進は不可能だと言った。〔ある地点〕まで到ったところで村落に露営し、翌二十七日午前十一時頃、二、三百メートル進んだとき、両眼は開いているがすでに口がきけない状態の後藤房之助を見つけた。ただちに応急手当を施して蘇生させた。さらに進むと、突然、雪の中で視力を失う者も出たが、手当を施して蘇生させた。行軍隊の大部分はなお遥か後方におり、後藤伍長の西南約三百メートルに及川伍長、さらに神成大尉……と、相次いで(多くは遺体となって)発見されていった。

📝 注記:立ったまま仮死状態で発見された後藤房之助伍長は、捜索の端緒となった人物として知られ、馬立場には彼をモデルとした銅像が立つ。連隊史は救援隊(三神少尉・村上軍医ほか六十名)の携行品まで具体的に記している。日付・人名の一部は判読が難しく〔 〕で補った。

歩兵第五聯隊史 p.148-149 原本画像
原本画像:p.148–149(NDLデジタルコレクション pid/941896)
〔捜索は〕二月十八日に至る迄、非常の忍耐と精勵とを以て、遭難者の約四分〔の三〕…を除き、〔屍體〕を發見し、〔残りは雪解を俟つこととなつた〕。生死者は〔別表の如し〕。 糒六十四石八斗二升五合、罐詰類…の補充を受けて、悉く之を市に〔在る〕…十四名、内十名の重傷者は衞戍病院〔に收容〕…〔患者〕日八十六名の多きに上つた。右に付、〔糧秣〕一千二百貫匆に及び、尚ほ師團經〔理部〕…又救護班(弘前救護班)に於て、〔患者を〕收容して治療を加へ、尚ほ繃帶〔を施し〕、同月二十九日慰勞として兩陛〔下より下賜あり〕…。 時は恰も極寒の候に方り、積雪股を没し、〔風雪中にありて〕、其の特色を發揮し、名譽を揚げたるものである。
二月十八日まで続いた捜索

捜索は二月十八日に至るまで、非常な忍耐と精励をもって続けられ、遭難者の約四分の三の遺体を発見した(残りは雪解けを待つこととなった)。生存者・死者の数は別表のとおりである。

補給と治療

糒(ほしいい)六十四石八斗二升五合、缶詰類などの補充を受けてことごとくこれを充て、〔負傷者〕十四名のうち十名の重傷者は衛戍病院に収容した。患者は一日に八十六名もの多きに上った。これに伴う糧秣は一千二百貫余に及び、さらに師団経理部や弘前の救護班において患者を収容して治療を加え、包帯を施した。同月二十九日には慰労として両陛下からの御下賜があった。

節の結び

時はちょうど極寒の候にあたり、積雪は股を没するほどで、風雪のただ中にあって、(連隊は)その特色を発揮し、名誉を揚げたものである──と本節は結ばれている。

📝 注記:連隊史は遭難の悲劇を詳述したうえで、最後を連隊の「名誉」を讃える言葉で結ぶ。これは事件から16年後(大正7年)に当事者である連隊側が編んだ「連隊史」という性格を色濃く示す。具体的な死者・生存者数は『遭難始末』および官報では参加210名・死亡199名・生存11名とされる。本見開きの数字(十四名・十名・八十六名など)は負傷区分・収容患者・一日あたりの患者数等を指すとみられ、判読が難しいため〔 〕で補い、断定を避けた。正確な字句・数字は原本画像を参照されたい。

歩兵第五聯隊史 p.150-151 原本画像
原本画像:p.150–151(NDLデジタルコレクション pid/941896)。本節「八甲田の吹雪」の結びと、次節の冒頭を含む。
原本・出典
歩兵第五聯隊史 表紙・第一章冒頭
『歩兵第五聯隊史』巻頭(歴代聯隊長一覧・第一章冒頭)。歩兵第五聯隊本部 校閲/帝国聯隊史刊行会 編纂。
書誌:帝国聯隊史刊行会 編『歩兵第五聯隊史』帝国聯隊史刊行会、大正7年(1918年)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/941896(参照 2026-06-30)。本書き起こし・現代語訳の収録範囲は第七節「八甲田の吹雪」(p.140〜151)。